2011年8月16日火曜日

「これに懲りず」


Twitter風に1でネタを振っては居ましたが、書くに腰が重い。
いや、これを書こうと思うネタはたくさんあるんですが、国語力の低い私、、、話をまとめ様とするとついつい腰が重くなってしまうのです。
ってわけで、最近Twitterとか見てて、あのくらいのペースで書けるのって良いのかもしれないなぁと思ったりしました。
んが。

あんなに短くまとめられるかっ!!!(笑)

でも、小出しにでも書き出すってのも大事かなぁと思った次第。
ってのは0.1でもやりだすなら積み上げていつか1に出来るかもしれませんが、1を求めてしまうとそれは0か1かで0になってしまう事が多いなぁとふと思ったりしたわけでして。
って言うとTwitter風でも何でも無いですが、とりあえず見切り発車でも何でも思ったネタは切り出してしまわんと。と思った次第です。
まぁ、その行為自体継続できるかわかりませんが。(笑)

さて、前にネタを振った「これに懲りず。」
です。

実は私、ある研修の受講を申し込んだ所規定人数にならない為お断りされたのです。
その時メールでお詫びが来ていたのですが、その内容が、

これに懲りず次回の、、、、

みたいな感じで書いてありまして。
ちなみにですが私、それにちょっとカチンと来たんですね。
少なくとも私の中では、何か上から目線で言われた気分になったのです。

それでまぁ「これに懲りず」をネットで検索すると、これに関するカキコミをしている人や質問を投げている人が結構居る。
理由も私とほぼ同じ。
上から目線を感じてカチンと来た人。
逆に、相手から怒られた人。
etc。。。。。

一方、その質問に対して日本語として正しいという人。
ただその提示された根拠はイマイチ私としては納得行くものではありませんでしたが、、、。
要は、いくら辞書を引いた内容を根拠とされた所で、辞書とは礼儀の辞典ではありませんから。
辞書的定義で正しい事と社会で正しい事はイコールでは無く、そしてネットでの質問とかに答える人で道聴塗説で、もともと知識何か無かったのにわざわざネットで調べて右から左に上から目線で解説する人も多く見受けられ2度カチンと。(笑)

が、そういうのを除いても見ていて思ったのは、
1.メーカー等も含め正しい使い方として「これに懲りず」は使われている。
2.少数の違和感、不快感を感じる人が存在する。(私とか)

の様で、私は少数派の様です。
そもそも懲りるに関する使い方が一つでは無い模様。
でも、懲りるの意味を調べてもあまり意味は無く、「これに懲りず」の用法そのものがどの様に定義されているのかが大事です。
が、これは見つけられませんでした。
そして、言葉について大事なのは、元の定義以上に民主主義的に決められている部分もあるというのもあります。
まぁ、完全なる誤用の場合はどこまで認めるか悩む所ではあるわけですが、、、。

という訳で、まずはこの表現は有りなのだと自分の中では認める事とし、では私を含め何故に上から目線を感じる人が居るのかについて考えて見たのでした。

いや、こんなくだらない事、結構悩んでいたんです。
悩みっぱなしと言うより時々思い出す様に。
でもある日、何となく自分なりに解りました。

当然ながらこれは私個人の人生経験等から来るものである事を最初にお断りしておきます。
「懲りる。」
ですが、この言葉の使われる場面を考えて見て下さい。
まず自分が言う場合。
「もう懲りたよ」みたいに言うとき。
これは自分が何かしら選択を誤ってそれを反省している状況です。
失敗の原因は自分です。
これを他人から言われる場合。

「これに懲りたでしょ?」
「もう懲りたでしょ?」

まぁ丁寧な意味での「これに懲りず」などの用法より圧倒的に世間で言われるのはこの用法では無いでしょうか?
これも失敗の原因は自分にあります。
そして相手の言い分としては、「だから言ったでしょ?」的な部分を感じます。
つまり、自分は正しい選択肢を主張したのに、あなたがそれを聞かず自分で間違った選択をした。
概ねこういう使われ方では無いでしょうか?
いや、別に私が勝ち、あんたの負け。という強い宣言で無いにしろ、少なからずこの言葉は言われている側が低い位置に居ます。

でまぁ、「これに懲りず」の方ですが、この用法は多くの人は知っています。
しかし、そこまで普段言われないですよね?
まぁ中には何かと買うもの買うもの問題合ってクレーム出してる人とか、逆にお客様窓口の人とかを除きです。

むしろ私がこの用法で言われているとすると、例えば仲間内でマージャンに負けた日とか。
「これに懲りず又やろうぜ」的な。
こんな用法でしょうか?
結局私が敗者であり、これで辞めてほしくない勝者が私に上から言ってる用例です。

というわけで、少なくとも自分の周りで振り返る分に対して、「これに懲りて」はあまり相手側がへりくだってるケースは無く、良く無い結果に対する責任は自分に有ると案に言っており、「これに懲りず」と否定形にした所で立場は逆転しておらず、あくまでも相手は上に居るのです。
このパターンが殆どであるから、この言葉に対してはもう直感的にそういう認識が働くのです。
その感覚で謝罪のメールに「これに懲りず」とか書かれると、少なくともこの事態に陥った責任は私に有ると言っている印象を受ける訳です。
ってなわけで、「何様のつもりですか?私のせいで駄目になったとでも?」という感情が生まれます。
これがネット上で見る「上から言ってる気がする」とか「何か良く判らないけどカチンと来た」というコメントの原因なのでは無いかと思っています。

が、私も今回の件で調べた上で、とりあえず本当に用法として正しいのかどうかは別としても、この用法には相手側に悪意がある訳でも無く、無知だからこういう言葉を使ってるわけでも無いという事が解りました。
そしてもう一つ覚えていたい事として、「この言葉の使い方の正誤がどうであれ不快感を示す人がおり、いちいち文句に大して都度説明するか、使わない事で回避するか考える必要がある。」とも思った次第です。

まぁ似た様な物として
「役不足」、「確信犯」の様に、ほぼ真逆だったり殆ど関係ない誤用が圧倒的の為、この言葉を使われるといちいち今回は本来の意味で使われているか、それとも誤用しているかその意味を汲み取らねばならいと言う手間が発生する為、自分はこの言葉を無かった物として扱っているというのがあります。
まぁこの言葉は封印するまでもなく、本来の意味なら使う場面はまず無いと言えますが(笑)

2 件のコメント:

  1. 書こうか書くまいか、かなり時間が経ってしまいました。

    「これに懲りずに」という表現、謝罪文の中に度々見かける表現のため、読む側としては、かなり以前から余り疑問もなく、知識のひとつとして受け入れてきました。

    しかし、いざ、自分自身で書く場合になると、ちょっと抵抗を感じてしまいます。
    多くの場合謝罪文の一節ですから、文体としては、まぁへりくだっているわけです。
    ですが、「懲りず」というのは、相手の心情であるのに、謙譲語になっていない。
    しかも、勝手に相手の心情を語っているふうでもあり・・
    そこで、「これに懲りられずに」とか「これに懲りられることなく」とか書いてみるわけです。
    どうも、しっくりこない・・・

    というわけで、読み手の側に立っていたときは感じなかった違和感が、書き手の側になるとジワジワとこみ上げてくる、厄介な表現という印象です。
    これが、電気蛙さんの感じられていることと同じなのか否か、解りませんが。

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  2. >相手の心情であるのに、謙譲語になっていない。
    おお。
    上から目線感に明確な理由が付いた気がします。
    実は私も、

    >そこで、「これに懲りられずに」とか「これに懲りられること>なく」とか書いてみるわけです。
    >どうも、しっくりこない・・
    の様に用法を考えて、やっぱりしっくり来ないなぁと。
    あなたが思う感情じゃなくて、「私に向けられる非難の感情に関して、どうか反省しておりますので寛容に。。」的なニュアンスの言葉や言い回しを考えるのですが、該当する言葉がとんと見つからない。
    ってな感じで、敬語は日本の美徳の様でもあり、コミュニケーションを面倒にする日本語の悪い所の様でもあり、、、、、そうそう
    世界中の言語の中で、いつまで経っても母国語をマスターした気にならない言語ってのも特殊だなぁと思う今日この頃です。(笑)

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